開運コラム 31号〜40号(平成11年2月〜平成14年1月)中断有り
No.31. あの部、つづき No.36. お金・水・人 No.32. 足に関する諸病1 No.37. 半ばは他人の為 No.33. 足に関する諸病2 No.38. 無 題 No.34. 胃が悪い No.39. メール・テロ? No.35. お金が悪い No.40. 願いは叶う
前回の頭に続いて「あ」の項目を紹介いたします。
アレルギー性体質
これはある食物、例えば鰯とか卵等に以前中毒したことがあるのがクセになっているというだけの事で、しばらくの断食によってそのクセを断ち切れば治ります。アルコール中毒
これは酒を飲まずにいられぬ人がかかるのですが、その酒を飲んで性格が変わるような人は一種のテンカン的症状の人です。誰か近親者に浮かばれぬ霊魂がある場合が多いのでそれを考え思い出して供養し、おわびをしないと病院では治りません。汗かき
取越苦労をしたり、あせったりして来た因果のある人と考えられます。すべてに落ち着く習慣をつけるようにすれば良いのです。以上が橋本先生の講義記録ノートより紹介したものです、次回は足についてご紹介致します、昭和55年のものですが当時すでに先生は高齢でその後の事は分かっていません。
埼玉県秩父に紫雲山地蔵寺があり、亡き父と訪ねた思い出があります。
すべて足に関する事は亡くなった方に関係のある場合が多い。足は土を踏むもので、墓に縁があるとでも言うべきでありましょう。特にスネから下の病気や怪我等は、死者に関係が深い。極端な話しですが老人でも足もとが危なくなると死期が近づいていることになり、足の丈夫な者はその反対である。
足の神経痛……多くの場合、目下で亡くなった方の因縁に関係する。妊娠中絶をした方でこの病気にかかる人が多い。恨んでいる死者を考え出して、よくおわびし、墓参などに務めれば治る。
足の怪我……これは前述の如く、死者で成仏していない者のある場合に怪我をする事が多い。治療の方は医者にまかせて、成仏していないと思う死者の供養をよくすると怪我は早く治る。
足の指の間の水虫……かくれた憂いのある人がかかる、その因果を解消し、且つ心配する心で信心するように心を切りかえれば治る。
足の裏も表も全部の水虫……親先祖の供養をせず墓参など全然しない人がかかる、速やかに反省しないと晩年の運勢は凶である。
足の膝関節の痛み……親子または兄弟の仲たがいが原因することが多い。それを反省して仲直りしたら治って元気になった人がたくさんあります。
足の大腿部……モモの内側に関する事は色情に関係がある。モモが冷えて困る人は夫人に冷淡な人。モモに大きな赤あざのある人は色情の恨みを持った人である。モモの皮膚が悪い人は色情関係で情味のない人である。
足のウラの瘤……踏みつけにしてはならぬ人、つまり大切に供養せねばならぬ人の供養を怠っている人のかかる病気である。
足が立たぬ、歩けない……脳性マヒ、または脊髄性マヒの一種である。主として脳または脊髄に関係あるから、親先祖への供養不足あるいは夫人の夫への恨みなどが原因である場合が多い。その他妊娠中絶などのため浮かばれぬ死者がある場合もある。よくそれらを考え出して供養すればよい。
足の破傷風……死者への供養や墓参不足。あるいはひどく死者に恨まれている人がかかる、足のうらが癌の場合は非常に恨んでいる死者が近親者にある。よく考え出して本気になってその人を供養せねばなりません。
胃がわるい……短気でわがままで、感謝の足らない人がかかる、その心を逆に持てば治ります、胃が悪いと言う事はその人の上記のような性格が分かるのです。
胃下垂……心にはげみも感謝もなく、いやいや仕事をしている人がかかるものです。その心境を改めて毎日励みをもって仕事をするようにすれば治ります。胃下垂の人は胃が悪いと言いながら食事は相当食べる、それを言われると「食べたくないけれど、食べないわけにもいかないので、仕方なく食べている」と言う。
胃潰瘍……イライラする心の持主がかかる、家庭の事か仕事の事かで思うように行かない事があってイライラする、その心を改めればすぐ治ります。
胃を病まない方法……自分がその時々に与えられる食物を神仏からくださった物と考えて心から感謝して食べる事、腹八分に食べる事、美食や暴食をしない事などですが、すべてに感謝するように心が調ってくると殊更に考えなくとも自然と無茶をしなくなり、また不思議に自分の体にちょうど合った食事が食膳に上がるような事になる。
もし胃を悪くしたと思った場合には多くの場合1日か2日絶食し、水だけ飲んでいるようにする、そうすれば胃が正常に戻ると同時に食物に対する感謝も生まれて結果も良い。
しばらくお休みをいたしまいたが、この度このコラムを再開する事になりました。
さて世の中は21世紀を迎え、新しい技術や情報が毎日洪水のようにあふれております。肝心の水は洪水どころか最低の降水率を記録中とかで、なかなかバランスの取れた良い世の中とはいかないものですね。不思議な事に科学と言うものがこの世に出てきて、その専門家は人間の暮らしに役に立つものを、暮らしを良くする為にとあれこれ考えておられるのですが、いっこうに良くなったような気がしませんね。たしかに数々の電化・自動化で楽になったのですが、その分自然が失われ、異常気象やオゾン層の破壊・新たな災害や人災など、考えると本当に人類は良い方向に進んでいるのか不安に思えます。
以前なら単純だった病因も現在は、複合要因がかさなりあってなかなか一筋縄ではいかない事が多く感じます。私個人的に思うのですが、最大の原因は貨幣経済と言うのでしょうか、お金第一主義が最優先され、その結果お金を儲ける事に全てを犠牲にしてしまっているのではないでしょうか。
確かにお金は必要ですが、お金だけが全てではないはずです、世の中の経済に便利な様に作られたはずのお金が、今や逆にお金に人間が振り回されてはいないでしょうか。小泉首相が資産公開のインタビューに他の閣僚に比べ、その少なさに「食べて行けたら良い」と答えられたのは名言に聞こえました。
お金が悪い!と言うのは先月のお話ですが、お金は確かに必要なものです、しかし絶対全てではないと思います、お金で買えないものはいくらでも有りますし、お金持ちが全て幸せでもないようですしね。
お金が入る良い財布をご存じでしょうか?それはまず1つ目、大きい財布を持つ事、二つ折りではなく真っ直ぐにゆったりお札が入る物が好ましい、2つ目、沢山入れておく事、そんなー!と嘆かないで下さい、お札の大きさに切った紙(メモ帳など)を入れてまず気持ち的に財布が膨らんでいると想定します。
最後の3つ目は、支払い等でお金を財布から出す時に「友だちをつれて帰って来い!」と、一瞬に念じる事を心がける。この3つを実践すれば自然に良い財布になります、是非おためし下さい。そしてあまり執着しない事が大切、お金と水はよく似た性質を持っていて、つかもうとすると指の間から逃げ、手をうければ自然に入って来るものです。さらに溜め込めばお金も水も濁ってきますので流通させる事が一番良い事なのです、お金も水も溜める為に有るのではなく、流通させる為にあるのですから。
同様にスタッフを持つ企業や団体にも言える事は、人も同じで人材を集め抱え込んでいるだけでは成長出来ません、新人を入れて新しいエネルギーをもらい、濁らないように福利厚生に力を入れて時がくれば社長と言えども後に道を譲る覚悟が必要です、その為にも人を育てる事がどんなに大きな財産になるかはお金で計る事は出来ないと思います。
2001年10月 No.37 半ばは他人の為(なかばはひとのため)
先月は大きな事件がありました、言うまでもなくアメリカで起きたテロ事件です。
もちろん私はテロに対して称賛や味方をするものではありません、ただこの事件のみを体制側から見るとテロであり、戦争行為ですが彼らから見ればアメリカ・自由主義体制へ対しそれなりの理由と報復である事が伺われます。報復に対しまた報復では世界の平和は永遠に訪れないでしょう、元々平和という発想は我々日本人は「争いのない穏やかな状態」と認識していますが、西洋諸国・特に自由主義を旗印にした代表国アメリカでは、自国の完全な統治によって築かれた状態を平和と言います。日本の江戸時代も幕府によって統治された武士中心の社会によって長い年月平和に過ごせたと言えます、仇討ちが許されるのは武士のみでその他の農民や町民には許されていません、極端な例ですが現在の社会状況に良く似ています、その結果明治維新が起こった様にいずれ世界の枠組みにも同じ様な事が起こるのではないかと思います。維新を起こした彼らも当時は反逆者であり、それはテロ行為ではなかったでしょうか。
それは長い歴史とこれからの歴史が判断する事になると思います。
とは言え、現実はますます難しい局面に向かい我々日本も親会社であるアメリカに反対の姿勢を取る事も出来ず、傍観者でいる事は出来ません。西洋文明の根本はキリスト教に代表される神との契約・イエスかノーかの選択で中間はありません、悪魔に対し許す事はないのです。
ここは世界平和を真に望む世界の人々を代表して日本が仏の知恵を使い、許し合う世界、お互いの存在を認め合う世界を作る努力をするべきではないでしょうか、言うは易しですが不可能に近いような私の願望です、更に付け加えておきますが、決してキリスト教を非難しているつもりはありません、友人の中にも神父・牧師をしている方も多く彼らは真剣に人を愛し、平和を願う素晴らしい方々です、仏教者の中にも自分の利益のみを追求する情けない者もいる事も事実です。本当に人間という種族はどうしようもない生き物ですが、知恵という何者にも代え難い能力を発揮して自分(自国)の為ばかりを思わず、せめて半分は相手の事を認めたいものです。この言葉は少林寺拳法の開祖である宗道臣先生の「半ばは自己の為、半ばは他人の為」という名言を思い起こされます。
テロに対する報復攻撃が続いています、またそれに対し炭素菌というバイオ兵器による報復も続いています、人間というのはなんというつまらない種族なのかと思います。
地球から見れば人間こそが増えすぎたガン細胞なのかも知れません。人の幸せの為の科学研究が活発になった20世紀は、どうやらその逆の効果も産み出してしまったようですね。そこへ今度は狂牛病というやっかいなウイルスが問題になっています、政府を信用しにくいのは先のエイズ問題での事例が大きく影響しているのは明らかです。
自分の身は自分で守らなければならないと言う事ですね。明るいニュースが少なく、だんだん愚痴っぽくなってきました
先月ある武道の大会を見学する機会がありました、その準備段階やら練習風景も見せていただいたのですが、小学校もまだ行っていない様な小さな子どもに本気で全身全霊をぶつけ、指導しておられる指導者に接し、驚きと感動を覚えました、この子ども達の未来・将来の為にここまで情熱をそそぐ人もおられると言う事は素晴らしい発見でした。親も学校の先生もどこまで本気で子どもを叱り(怒るのではない)教育をする事がしにくい現状からはまったく別世界でした。
あの子ども達の真剣な表情と、練習が終わった後の指導者の笑顔はいつまでも私の心に残っております。指導する者とされる者は太鼓と打ち手の様に思います、小さく打てば小さく鳴り、大きく打てば大きく響く、何事も上に立つ指導者次第ではないでしょうか。
携帯電話を持つ方々が口をそろえて言うには、一方的に送り付けられるDMメールには迷惑をされております。便利な文明も使い方によっては困った問題ですね。
もちろんニーズが有るからでしょうが、その為に多くの方々が迷惑をされている事も現実です。のみならず、聞くところによりますと、この膨大なメールデータを処理する為に一般のメールに遅れが出でいるとの事です、何より受信者に不要な情報を一方的に送りつけ、その受信料金を受け手に払わせるのは商売の倫理にはずれていると思います。
以前はFAXによるDMも有りましたが、これは通信費は送り手負担ですが、用紙は受信者の負担です、その点ではこのメールによるDMは、送信側には最小限のコストで大きな効果があるのでしょうか?中にはかなり悪質なものも有り、指定されたボタンを押すと110番に繋がったり、さらに課金が発生したりと、知らないうちに料金が大きくなってしまいます。
最近ではメールの他に携帯電話に1回だけ着信音を鳴らせて切る、いわゆる「ワン切り」と言う新たな攻撃があるそうです、これは着信表示を利用して受け手が誰かな?とリダイアルすると、そこから接続料金が発生し法外な料金が請求されるというもので人の善意を利用した、しかも送信側の通信コストはゼロ円の悪質なものも蔓延しているそうです。これからの時代、すべては自己責任で対処していかなくてはならない世の中になって来ました、利用する側もそれなりの知識と注意が更に必要です。日本初?か、どうかは分かりませんが、次々に手口を替えて攻撃をくりかえされる「メール・テロ」にご用心下さい。
21世紀も2年目に入りました、数々のあまり嬉しくないニュースばかりで素直に「おめでとうございます」とは言いにくいのですが、こんな時にこそ明るい笑顔で暮らしたいものですね。
実は私事ですが、最近インターネットで28年ほど音信が途絶えていた旧友の名を見つけ、同姓同名かな?と、半信半疑で連絡を取ったところ、まさに本人でした、本当に嬉しいやら文明の利器に感謝やらで実に嬉しい出来事でした、インターネットもこんな使い方が出来るのですね。さらに嬉しい事に彼は初心を通して自分の仕事を続けていました、能力や才能があっても数多くの仲間が去ってゆくのを見てきた私には彼の存在は大きな励ましになりました。
この事柄に限らず、どんな事でもあきらめず、がんばった者にしか味わえない喜びがあると思うのです。挫折や苦しみを多く体験した人は、何ごともなく過ごして来た人よりも強くて優しい人間になれるように思います。新しい年を迎え今年こそ、今年こそと思いながらもなかなか思いが叶わない、そんな方こそ必ずや良い事の訪れがあります、あきらめずに「今年こそ」と自分が願い続ける事が出来る限り…