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Studio MIKI
私事

坪井 仁志
1954年・昭和29年9月16日三重県桑名市生
益世小学校、明正中学校から鈴鹿高校へ
日本デザイナー学院名古屋校卒業
現在「日本デザイナー芸術学院」
名古屋・東京に勤務し1985年(昭和60年)に
大阪の桜プリントへ
1989年(平成元年)株式会社ダズへ転職
第二制作部長として努める
1992年(平成4年)独立し現在に至る
奥さんの敏子とは東京の同じ会社で知り合い
1985年に結婚、奥さんは長崎市の出身です

桑名市の「その手はくわなのホームページ」
http://www.city.kuwana.mie.jp/

長崎市の「WELCOME NAGASAKI CITY」
http://www1.city.nagasaki.nagasaki.jp

日本デザイナー芸術学院
http://www.ndg-nagoya.ac.jp/

あれこれ
祖父は若いころ日本郵船の船員で世界各地を旅し、船の経験を生かし帰国後に塗装業を開業。
(ペンキ屋さんなのですが、当時はほとんどがコールタールや防腐剤を塗る事の方が多かった)
帰国に際し、ラッコの毛皮のチョッキに山高帽、村の村長の所に1台しかないような自転車に乗って走る姿にみな呆然としたらしい。
英国ではジョージ5世の戴冠式に日本人の最年少者として出席、アメリカではアジア人の厳しい生活に驚き、パナマ運河を通る際には現地の人々が日本の船と見ると「うなぎ」を売りに集まって来るという。
(そのうなぎは大きく、臭く食べられなかった)
奇妙な話しにタイの近郊では水の中に生息する「象」を売りに来たと言う、あの大きな象と同じ形なのだが大きさは手のひらに乗るほど小さい、海象または水象と呼ぶらしいが、いまだに謎のままである。
ちなみに最高に美しく印象に残った所は、イタリアのベニスで私が小さい頃に新婚旅行に行けと勧めたが、果たせず……残念!
考え方も近代的で宇宙から攻めてきたら、地球人は国を越えて一つにならなければならない、とよく話していた、世界を見て来た人の言う事はブッ飛んでる!

父は腕の良いペンキ職人で、大阪府南河内郡太子町の叡福寺・聖徳太子御廟の修復、成田山の鐘楼修復等の寺社文化財の塗りを手がけた、何年かして次の修復時にはその棟に「伊勢の国塗士・坪井楽生」の名が見つかる事でしょう。石川県の小松飛行場の建設にも参加し、私も3〜4才でしたがついていきました。
空は真っ青で真っ白い雲が流れていました、ブルドーザーが走り、赤い大きな夕日が沈み、夜空には満天の星が今も記憶に残っています。
(小松飛行場を作るので、ブルドーザーにはすべて
「KOMATU」の名が入っているのだと教えてくれましたが……?)

そんな職人の家庭で育った私は、とうてい会社員を努めるのは至難の業、向こう気だけが強く、短気で頑固な性格が災いして現在のような生活を送り、嫁さんには苦労をかけております。しかし、こんな私を育ててくれた名古屋の(株)東陽さん、大阪の(株)ダズの櫻井社長には感謝感謝です、学校の先生をはじめ先輩や同僚、友人、得意先の皆様にも数え切れない多くを教えて頂きました。
この場を借りて心から御礼申し上げます。

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  2008